政治にも選挙にも関心が無いという若者へ

テレビのインタビューではそういう若者を選択的に取り上げているのか,政治にも選挙にも関心が無いという若者の声が聞こえてくる.しかし,関心が無いという若者に私は言いたい.あなたが仮にそうでないとしても,あなたの周囲に日々行きづらくて困っている人はいませんか.そうでないとしても,新聞やテレビのニュースを見てください.もちろんインターネット上のニュースでもOK.個人の努力では解決できない行きづらさ,困難を抱えている人がたくさんいらっしゃることに気づくでしょう.解決するには政治の力が必要なことにも気づくでしょう.想像力を働かせ,自分の事として考えてみませんか.今困っていなくてもそのうちにあなたにも,いやみんなに降りかかってくるかもしれません.自分や,この国に住む人たちの生命と暮らしを大切に.政治にも選挙にも関心が持てないというのは,とんでもなくもったいないことだと私は思います.あなたは間違いなく大損をしています.

学術会議へ要望を送りました

学術会議へ要望を送りました.2020/10/11 20:30
 
タイトル:
学術会議に関する一連のデマに対する正式な抗議を
 
お問い合わせ、ご意見:
ご多忙のところ大変恐縮ですが,学術会議会長名で,すべてのデマに対して 一刻も早く,正式に,抗議し,また国民向けに学術会議の存在の意味をわかりやすい言葉で説明していただきたいと切望していることをお伝えいたします.正式に会長名で抗議することは学術会議そのものにとどまらず,この国の現在と将来の研究者・学界にとって死活的に意味のあることだと思います.もちろん,この国の健全な未来のためにも.
「無理が通れば道理引っ込む」では,そもそも理屈で生きている学者・研究者の存在は不可能です.政府に対しても,この国の学者・研究者を代表して「道理」をしっかりと主張してくださることを切にお願いいたします.

この国の保守安定王朝と動物農場

評判の悪かった首相が辞任して第一の側近が<数人のトップ会談を経て>次の首相になった.たったそれだけで支持率が30%代から60%代へとほとんど倍加したことには大いに驚いた.この国はいわば王様を運命的にあてがわれることが定めの王国家のようだ.前の王様はちょっと信頼できないところもあったが,今度の王様は良い王様だったら有り難いね,という民の期待感.この国は,なによりも安定を好む民が多勢を占める国家.こういう見方はどうだろう?
考えてみると,江戸時代と良く似ている.天皇存在の傍ら<今と同じだ>,徳川が安定の260年を維持した.百姓一揆島原の乱大塩平八郎の乱などもあったが,耐え忍ばないは容赦のない弾圧にさらされたこともあり,民の大勢は動乱・混乱をきらい,安定を求めた.それ以外の選択はなかったのだ.明治維新も民の革命とは言い難い.260年間,民は将軍の治世が良いものであることを望み,人生を生き続けた.そしてそれから150年余り,民は同じように混乱を避け,安定を求めて生きているようだ.
今こそ,ジョージ・オーウェルの Animal Farm <動物農場> を読んで,この国の保守安定王朝と比べてみる時期だと思う.NHK Eテレの100分de名著で,動物農場をとりあげてくれないだろうか.日本語訳も多数あるし,なによりも短くて大変読みやすい.
 
20201005 追記
江戸徳川政権開始以降,現在までの410年余りのうちで, 唯一といって良いだろう, 民が高揚したのが 1945年夏からの20-30年間.それを体験した最後の世代 = 団塊の世代も徐々に死を迎えつつある一方で, 今の若年層の王朝支持率は高い <最近のものでは, 2020年10月4日発行の The Asahi Shimbun Globe, 234号を参照>.ため息が出るが, 王朝はさらに安定化の傾きを増しているようだ.

オリンピックと下心

全くの突発事件であったのが東京オリンピックの一部競技の開催場所を札幌に移転するという騒ぎ.最初の情報をインターネット上で見てから 24 時間も経たない内に実質的に決定したという報道になって,本当に驚いた.

それはさておき,暑くて条件の悪い東京から涼しくて条件の良い札幌に移ることによって,日本人選手のメダル獲得の可能性が小さくなったという下心というか本音が競技関係者からもろに出てきて,僕は,それを云っちゃおしまいよと思った.オリンピックに限らず,スポーツ大会というのは,参加する全ての選手が可能な限り良い条件で思いっきり力を発揮し,互いをリスペクトしながら競い合うというのが原則であるし,そういうところが面白いということになっているはずである.

札幌実質決定報道のあと,連日のように <多分文字通りそうであったと思うが> 民間TV の昼間のワイドショーは札幌への negative な発言で溢れた.僕は札幌に移ってちょうど 50年になるが決して愛市的な札幌市民ではない.それでもこの札幌たたきは大いに不快であった.札幌市民の多くのみならず,かなりの北海道民も同じような不快に感じたのではなかろうか.そのこと自体は,東京キー局のワイドショーが東京在住のタレント・評論家などの <そうだ.TV のワイドショーにおいては,昔のことばでいう文化人や評論家よりもお笑いタレントの発言のほうが重宝されるのだ>,東京一極中心視点で構成されているのだということが良く表現されていて悪くは無かったが.

それからもう1つ.ワイドショーはマラソン関係者の不満で溢れたものの,競歩の関係者の声がほとんど全く聞こえてこなかったのはどういうことなのだろう.競歩もメダルの可能性が下がったということになっているのだろうか.

札幌開催の騒ぎは決着したものの,新たに生じた問題が山積しているのは間違いない.関係の皆さんには「ご苦労さま」と云うしかない.

それでも札幌移転に不満をくすぶらせている方は多いだろうと思う.そういう人に最後に一言.50年札幌市民が確実に云えることがある.真夏の東京から千歳空港にもどり,自動ドアから外に一歩出たときのあの心地よさである. 競歩とマラソンの選手にも,また来年の8月に札幌を訪れる人たちにも確実に感じてもらえると思う.

蚊を見つけたら, 多くの人は迷わず潰そうとするだろう

蚊を見つけたら, 多くの人は迷わず潰そうとするだろう. 
人によってはハエも同じように潰そうとするだろう. 
それに人は意識することもなく足下のアリンコを押しつぶしているかもしれない. 
これは蚊やハエやアリンコにとって, 全く理不尽な事だ. 
しかし, これに遭遇したら,彼らにはなすすべが無い.
地球上の生物の中で, 人間だけがこの種の理不尽さから逃れ得る特別の存在であると考えて良い根拠はどこにも無い.
われわれは蚊やアリンコとおんなじで, 実は無知と僥倖によって, 地球の上に, 今こうして, たまたま, 生きているのだ. 
生まれ出てきたこと自体, 全くのたまたまであるしね.
ここのところ, 自然災害が続く.

夏に思うこと:「犬死」の歴史的な意味あい

水木しげる:僕は戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみあげてきて仕方がない...思考停止と無責任が支配する論理によって,自決と玉砕を命じられた仲間たち...<朝日新聞 折々のことば 20190816>」

今夏の NHK スペシャルなどの戦争関連番組でも「犬死」は明瞭に表現されていましたね.でも僕は,もしあの戦争がなかったら,あるいはもし日本が負けていなかったら,いまでもこの国は大日本帝国憲法下の大日本帝国であったろうと考えると複雑な気持ちになります.そういう意味で後付け的ではありますが,「犬死」には歴史的な意味あいが付け加わったと思います.

今,しきりにこの国が「国益」を叫ぶのは,日中戦争突入の際の「満蒙は我が国の生命線」というのと大した違いはありません.この国が90年前にもどってしまい,「犬死」が本当の「犬死」になってしまわないことを...

予期せぬ発見

もう20 年以上も前になりますが, 「深田研究助成金」というのをもらい,それに関連して 2014年の夏に書いた一文を見つけたので載せておきます.

最近の院生の文献収集のやり方を見ていても, 必要なものをダウンロードするだけなので,予期せぬ文献を見つけることなどまずないだろうなあと思う,それと同じ類の話です.無用の用のことですね.暇な時は図書館にいって雑誌でも本でもパラパラ読みをしては如何.予期せぬ発見があるかもしれません.

 

予期せぬ発見

前田仁一郎 (北海道大学)

私は「北海道日高山脈に露出する大陸地殻の形成プロセスの解明」という研究課題に対して 平成 8 年度「深田研究助成金」を頂きました. 心から感謝申し上げます.

学生の頃から「深田研究助成金」を頂いた頃まで, 人よりもヒグマのほうが確実に多いだろう日高山脈北部の広大な地域で,時にはザイルを背負って沢をつめては国境稜線に立ち, さらには隣の沢を降りてくるというような古典的なフィールドワークを行っていました. 学生時代をたっぷりと山岳部員として過ごしていたので, そんなに大変ではありませんでしたが, 沢山のガブロの試料を背負って滝を降りるのに苦労したことは何度もありました. さて, そんな学生時代, 先生たちは「先入観無しに山を歩け」と教えました. しかし 級友はチャート層が隣の沢につながるはずであるという当時の先入観に基づいて地質図を書きました. 今から思えばメランジェの中のブロックであり, 苦労してつなげることもなかったのです. 自然科学, 特に地質学においては「先入観無しの客観的な観察」などあり得ないということ, 観察の理論負荷性とか理論依存性と呼ばれることを私が強く意識するのは卒業後だいぶたってからのことです.

当時の先生たちは「この地域は良く判らんからちょっとやってみろ」というような感じで 数 km (時には 10 数 km 以上) 四方の調査地域を学生に与えていたこともありました. しかし, その後になってこういうやり方はまったくダメだということになりました. 先行研究の結果からきちんと限定された面白いテーマを与えなければいけないということになったのです. それまでに書かれた地質図や柱状図や論文の中の「面白いピンポイント」を効率的に狙うという賢いやりかたが主流となり, 広大な地域を「先入観」無しに, 「限定されたテーマ」無しに歩き回るということは無くなりました.

このこと自体は大変合理的であるように思われます. しかし私には 1 つ気になることがあります. それは, 先行研究の結果から導かれた「面白いピンポイント」だけを狙っている限り, 面白そうでない所で「予期せぬ発見」に遭遇する機会を失うことになるかもしれないということです. 駆け出しの頃に広大な地域を歩いたおかげで私は奇妙なものをいくつも見つけることになり, それらの内のいくつかは日高火成活動の研究にとって決定的に重要な試料になりましたし, 後に院生・学生の研究対象にもなりました. 先入観無しでも先入観ありでも何でも構いませんが, 広大な地域を歩きまわり, そしていろんなものを見ることもまた有意義なのではないかと思います. 予期せぬ発見に結びつきそうな非効率的なスタイルの研究をも「深田研究助成」がサポートしてくださることを切望するものです.